shi-yanyの日記

15年前に脊髄損傷による不全麻痺となり足を悪くしました。そんなわたしの日々を綴っていこうと思っています。少しでも元気になる人がいたらいいなぁ。と思って始めました。

小児慢性特定疾患

土曜日は1番下の娘の定期検診の日

娘は産まれて1ヶ月検診の時に心不全と診断され

そのまま日赤医療センターに転院、入院

となりました。1歳までは入退院を何回かして、

1歳のときに手術をして、そこからは投薬治療と

なったため2ヶ月ごとの定期検診、

1年ごとの精密検査をしています。

 

生後1ヶ月で心不全と言われた時は頭が真っ白。

バタバタと入院手続き。産まれたばかりの

小さな小さな手には点滴やら、胸の数値をはかる

器具やら、線だらけの娘の姿に

涙が止まらなかったのを覚えています。

血中の酸素濃度?が低いけれど心臓に穴が

開いているため酸素を送ることはできない。

など、いろいろなことを一気に説明されました。

 

3番目だけれど、なんか違うのは女の子だからなのか

上の2人は夜中に何回も起きては授乳をしていたのに

娘は寝てばかりであまり泣かないのです。

不安でいっぱいだったので、夜中に3時間ごとに

目覚ましをかけて授乳をしていました。

いま思えば心臓が苦しくて、泣いたり飲んだりできなかったんだと思います。

そういったことも、早く気付いてあげれれば。

3番目だからと気を抜いていたのかもしれない。

などと自分を責め続けて涙にくれていました。

家族に、そんなに泣いてたからって

どうにもならないんだし、しっかりしなきゃ。

と言われる言葉も、悪魔の声のように聞こえ、

どうして。どうして。どうして。

と、どうにもならない不安に押しつぶされそうな

日々でした。

点滴に繋がれているので入浴はできません。

そんな説明すら、かわいそうで号泣していました。

 

入院してまず、点滴治療が始まりました。

幸いにも最初の治療で効果が見られ、顔色もよく

なってきました。

元気になってくればもちろん泣いたりもするように

なってきました。でも、上の子たちもいるので

夕方には帰らなければなりません。

看護師の方には、

『大丈夫ですよ〜こちらであとはみますから〜』

と言っていただけましたが、

後ろ髪を引かれながら毎日帰りました。

 

最初の入院以降の入院は、予定の入院だったので

家族にお願いして、完全泊まり込みで娘のそばに

ついて一緒に入院しました。

その時にわかりましたが、親が一緒に

入院していない部屋からはずーっと泣き声が…。

胸が詰まる思いでした。

産まれてたった1ヶ月のときに、こんな淋しい思いを

させてしまっていたのか…と。

また自分を責めていたのを覚えています。

 

退院する時に申請することになりました。

小児慢性特定疾患

健康保険証は会社を通して、

小児医療証は区役所へ、

小児慢性特定疾患は保健所へ。

マイナンバーも登録しているのに、この煩雑さは

変わらない…。

特に小児慢性特定疾患の申請は毎年なので

毎年お医者さんの意見書(有料)や、保険証のうつし

課税証明書や、世帯調書やら

それを一式そろえて保健所へ申請に行きます。

ほかにも、小学校に上がる時にも、

行動制限があるのかどうかなどの意見書(有料)が

必要です。

とにかく申請書を持参。

なんとかならないものですかね。